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すべての非正規労働者に一人前の賃金を!

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フリーター全般労働組合設立にむけての確認事項

0.労働組合をつくる前に、言っておきたいことがある。かなりキビシイ話もするが、事の本質を知っておいてほしい。
 それというのも、この半年間、いわゆる運動界隈の(自らを「左翼」と自己規定していそうな)人々にたいし、事あるごとに「学生運動を包含した階級的フリーター労働運動の必要性」を触れ回ってきたが、ぞっとしない反応が多すぎたため、まとめてそれらに応接することにもいささかの意義を感じざるを得ないからである。(註)
 なお本稿で「フリーター」という場合のその定義は、「15歳以上の労働力人口(学生と主婦を含む)のうち、パート・アルバイト(派遣等を含む)及び働く意志のある無職の人」であり、その数約二千万人と推定される。
 これは2003年度版「国民生活白書」(内閣府編)による定義「15〜34歳の若年(ただし、学生と主婦を除く)のうち、パート・アルバイト(派遣等を含む)及び働く意志のある無職の人」に必要な変更を加えたフリーターの新定義である。因みに内閣府の定義によると、フリーターは417万人で「学生、正社員以外の主婦を除いた若年人口全体の5人に1人」に当たるとされている。

(註)以下5つの反応への反応を示すにあたって、われわれの今後の運動が拠って立つべき日本国憲法の条文を列記しておこう。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
児童は、これを酷使してはならない。
第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

Part1. 学生は学生らしく、学生の本分をわきまえて学生運動をやるべきだ。

  1. 「学生は学生らしく学問だけに励んでいろ」というのが本来の「本分論」だが、それにたいして果敢に闘いを挑んでいったかつての学生運動の闘士が言うならまだしも、現役の学生が言うのだから「伝統」というものは恐ろしい。
  2. では、奇特な学生活動家が主張する「学生らしく」の「学生」とは何者か。「男らしく」の「男」同様、そこには何らかの社会的・歴史的意味が付与されているハズである。
  3. 1948年に結成された全学連(全日本学生自治会総連合)は、当時の日本共産党徳田(球一)指導部による「学生は階級としては小ブルジョア階級に属し、革命の担い手とはなりえないのだから、革命をやりたきゃ田舎に帰って地域に根ざした地域人民闘争に馳せ参じるか、卒業してから労働組合の書記として労働者階級の前衛たらんとするかのどっちかにしろ」という干渉を撥ね退けて、「たしかに学生は即自的に(そのままで)はブルジョア予備軍としての特権的中間段階に属する浮遊層ではあるが、別言すれば資本関係から相対的に自立した真理探究の徒として、客観的にいずれの階級が社会を領導すべきであるかを見極めうる立場に置かれた社会層でもあるということであり、このような『層』として学生層は労働者階級の同盟軍となりうるのだ」とやり返し、「層としての学生運動」を全国的に展開したのであった。
  4. しかし、言葉の魔術というか、ラジカリズムの不治の病というべきか、この「学生も層として階級闘争の一翼を担いうる」とする「層としての学生運動」論(=初代全学連委員長・武井昭夫の名前をとって「武井理論」と呼ばれた)は、「学生によるラジカルな政治行動はプロレタリアートの革命闘争への起爆剤となりうる」式の「発展」をとげ、これが「プロレタリアートの前衛」ということにオーバーラップされるにおよんで、ついには「学生の闘いを支持して立ち上るよう呼びかけることこそが革命的プロレタリアートの任務であり、かくすることによってのみ学生運動(小ブルジョア運動)に対する労働者階級の指導権が確立されるのだ」(島成郎=第一次ブントの創設者、菅孝行『現代史のなかの学生』より孫引き)というような境地にまで行き着く。ここに至って学生が労働者のアタマ越しに「前衛」性の専売特許権をめぐる空中戦(神々の争い=セクト主義)を展開する基礎が築かれ、戦後の大衆運動としての狭義の学生運動は終わりを告げるのである。
  5. 余談だが、学生が「労働者階級の前衛」と称して「党」を名乗って自滅するという連合赤軍(第二次ブントの一派+α)パターンは、その陰惨すぎる外観にもかかわらず、「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(マルクス)の二度目でしかない所以もここにある。それは「光の雨」のように実際に劇化すると無惨にも露呈される。真剣味が滑稽味に転じてしまう回路を劇中劇という形式で反転させようにも、喜劇の喜劇にしかなりようがないので、結果として死者を二重に冒涜する悪質なコメディ映画に仕上がった。
  6. 狭義の学生運動の終焉後、約十年の星霜を経て登場したのは、いわゆる全共闘運動であった。これは、「『層としての学生運動』なんて屁のカッパだ。革命運動化した学生運動にとってはもはや何の役にも立たない」と清算主義的に息巻く新左翼学生と、「『戦後民主主義』なんて屁のカッパだ。マルクスがなんだ。自治会がなんだ」と清算主義的に息巻くノンセクト・ラジカル学生との合作による思想的・行動的打ち壊し運動であった。
  7. 学生数の大膨張にもとづく大学の「大衆化」と、特権的社会層としての「学生層」の客観的液状化を背景に、主観的にもかかる特権性に関わるすべての価値と制度を解体してしまおうという情念にまかせて大暴れ。
  8. 戦後学生層の墓掘り人たる全共闘的主体は、もはや古典的「学生」でも、ましてや「労働者階級の前衛」でもない何者かであったハズだが、かかる否定的自己を再び「普遍性」へと打ち出して行く政治的回路を持ち得ないまま、旧来の「普遍性」によって覆い隠されていた様々なマイノリティの解放運動や連帯運動に活路を見出し、政治的には、「自立した個人」「市民」向けに看板をすげ替えたソフトスターリニズムやネオリベラリズム(ニュー社会党→マドンナ社民党→ネオリベ民主党)へと回収されて行く。
  9. 70年代は前時代の熾火が間欠的に爆ぜただけで、それもやがて消え去り、80年代には全共闘運動の「良い部分」(=ノンセクト・ラジカル部分)を抽出することによって、主として特定「新左翼」党派の恐怖政治下に置かれた大学で、それらに対抗すべく「ノンセクト学生運動」が細々と展開された。
  10. この運動は、大衆運動における党や党派性をハナから悪と決めつける党派性にもとづいて組織されていたため、学園における党派の規定力の衰退とともに衰退し、当該党派は小なりとはいえ未だ健在であるにもかかわらず、90年代にはほぼ絶滅してしまった。
  11. 今にして思えば、80年代に曲がりなりにも「学生運動」が維持できていたのは、バブル景気のおかげであった。「内ゲバ党派」による暴力支配が継続される一方で、大学の「レジャーランド化」が進行し、「一般学生」は海外旅行付きの内定をもらって浮かれているような状況を目の当たりにしては、予備校あたりで注入された「あの頃」のイメージで大学生になったような男の子が「ナニクソッ!」と反骨精神を掻き立てられてしまっても無理はない。「君らは大学生という特権性に胡座をかいて浮かれているが、本当にそれでいいのか!」と言わないまでも、そんな心情を基礎にして仲間をつくれる余地があった。
  12. しかし、90年代になるとそうはいかない。よっぽど運が良くなければそもそも「大卒」並の就職ができない。親の貧乏化も進む。学費は上がる。生活費に当てるバイト代が増える。場合によっては家賃も払う。勉強どころではなくなる。学校をサボる。アイデンティティが揺らぐ。不安になる。引きこもる……。
  13. こんなミゼラブルな学生に向かって、「学生としての特権性」やその自覚にもとづく社会参加を云々するような伝統的学生運動は滅びて当然なのだ。「勝ち組」を相手にしたらなおさらだ。「われわれの足を引っ張るような真似はよせ」と言われておしまいだろう。相対的特権層としての「学生層」はすでに解体されつくしているのであり、「学生層」としての主体も自己意識も存在しないからには、それへの「自己否定」とか「解体」とかも不可能であることはいうまでもない。(註)
  14. 90年代は、大学生が「学生として」戦線を維持したり構築したりすることの無効化、無効果が完膚なきまでに露わとなった時代なのだ。
  15. では2000年代の学生は、資本のサバイバル・ゲームに「即戦力」として迎えられる一握りの果報者を除いては、「とりあえずビール」よろしく大学院にでも行くか、悶々として引きこもるかのいずれかの途しかないのだろうか。
  16. 否、ボランティアがある。自分のことだけ考えてないで、人のためにつくすのだ。近頃は「ボラバイト」とかいう、「自己実現」や「生きがい」を実感できるかわりに、超低賃金か無料で「働かせてくれる」ような制度もあると聞く。青年海外協力隊に入隊したり、貧しい国で癒されたり、「精神世界」に目覚めたり、物質文明を呪ったり……。
  17. まあざっとこんなところか。しかし我田引水でいわせてもらえば、「2000年代は、学生(中学生を含む学生全般)が『労働者として』奮闘すべき時代である」ということになる。
  18. この「学生が労働者としても闘う」ということは、学生がいきなり革命家面をして労働者や「市民」に説教をたれかねまじきかつての「学生運動」や、そのテの「旧来の左翼運動」に陥らないためにはどうすればよいかといったようなことをゴテゴテと外来語を駆使して展開することが少なくとも「全共闘以後」とか「68年以後」の左翼の嗜みだといわんばかりの知的ネットワーク運動とは比較にならぬほど、現在の学生のおかれた生活状況に根ざした穏便かつ真っ当な選択なのである。
  19. けだし現代学生(現大学生)は特権的中間層としての「学生層」から最終的に没落し、社会層としては今や実態的半失業者もしくは学籍付フリーターでしかないのだから、学生が自らの社会的地位をありのままに認識し、運動しようとすることはヘタな「夢」を追っかけるよりよっぽど現実的だからである。

(註)80年代後半以降、ノンセクト学生運動が学園の枠を越えて展開もしくは延長される場合には、高飛車な「かつての左翼運動」とは逆の、ある種の低徊趣味(「働かなくたっていいじゃないか」的)を帯びるのはこのへんの事情に由来していよう。しかしこれとても、「大学を出ても定職につか(け)ずブラブラしている」状況が珍しくなくなった現在においては、かえってイヤミな「サヨク」臭に転化しかねない。

Part2. 親のスネかじりと労働者をいっしょくたにすべきではない。

  1. いっしょくたにすべきである。まずは下の可愛らしい労働力人口図「資本家」をご覧いただきたい。
    A=資本の代理人、使用者、支配層。
    B=外国籍フリーター、主婦フリーター、
    学生フリーターを含む雇われ人、失業者、貧乏人。
    C=専門学校生、各種学校生、予備校生を含む。
  2. AとCを画する枠は、大学生の「層としてのプロレタリア化」に反比例して、大学経営の資本への自主的隷属、資本の競争力強化に役立つ「自立型人材」養成施設化、アントレプレナー(企業家=「競争的環境の中で輝く個性」)教育化政策によって、ますます欺瞞的かつ幻想的に越境可能であるかのような外観を呈するにいたっている。(最高学府=真理探究の場というタテマエ自体の放棄。学問を売る大学から夢を売る大学(院)へ。→国際教養学部、国際経営ビジネス学科、キャリアデザイン学科、危機管理学科等々)
  3. 公教育分野では、憲法改悪への地ならし攻勢としての教育基本法改悪策動をはじめ、教育内容への国家統制とセットになった国立大学リストラ攻撃(独立行政法人化)。小中学生には「心のノート」ばらまき「夢というコンパス」だよりの「自分探し」のベンチャー精神と、「我が国を愛する気持ち」を同時注入。「『私』の乗っ取り」(三宅晶子、「現代思想」2003.4月号)、「『公』の簒奪」の後に「愛国心」の皮を被ったのっぺらぼうが徘徊する。「グローバリズム」というのっぺらぼうが。いかがわしい「宇宙船地球号」の強国は、この妖怪を文字通りグローバル化しようとして神聖な同盟を結んでいる(cf.マルクスandエンゲルス「共産党宣言」)、というわけだ。
  4. このような事態はグローバル資本による労働力の再生産過程への積極的介入政策(=グローバル資本主義の自己植民地化過程としての教育再編)を示しており、これに対処するためにも、従来Bのみを対象としていた労働運動は、BCD相互の枠を越えてAへの対抗軸を形成しなければならない。
  5. これらの越境を旧来の「労学提携」の一種と考えてはならない。なぜならば、ここにいう「対抗軸の形成」は、BCDの枠組みを実態においてすでに無化してしまっている「フリーター」という存在が大量かつ普遍的に簇出しているという歴史的・社会的現実に根ざしているからである。
  6. サロン化した左翼業界で近年話題の「マルチチュード」などという没階級的な舶来用語にゆめ踊らされることなく、自らの足元をしかと確認した上で大いなる一歩を踏み出そう。

Part3. 当面はインターネットやメーリングリストを活用したゆるやかなネットワークで充分であり、争議が必要となってから組合なり争議団なりを結成すればよい。

  1. 労働組合とは、「労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体」(労働組合法2条)である。
  2. 労組法上の「労働者」とは、「賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者」(同3条)であり、現実の雇用関係を要件とはしていないため、失業者もこれに含まれる。また労働基準法3条では、「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」とされていることから、「労働者」には日本国籍以外の労働者も当然含まれる。すなわち、使用者(資本家=キャピタリスト)から区別された「全人民」的労働者概念が法律上もちゃんと規定されている。
  3. ここから、労働組合の究極形態とは、「資本家が主体となって労働者の経済的地位の低下その他あくなき利潤の追求を主たる目的として組織する団体」としての日本経団連に象徴される総資本とその政治部隊にたいして、「総労働者の経済的地位の向上を主たる目的として対峙する圧力団体」ということになろう。(註1)
  4. このような団体に求められるのは、①強固な民主性と②強固な柔軟性に裏付けられた③強固な組織性でなければならない。
  5. 一方、闘争的課題を担う(と称する)「ゆるやかなネットワーク」に往々にして認められるのは、①ユルユルの民主性(意思決定過程がアイマイ)と②ユルユルの柔軟性(階級性がアイマイ)に規定された③ユルユルの組織性(成員がアイマイ=なんでも個人共闘主義)である。(註2)
  6. このようなネットワークは各個別課題ごとに存在すると敷居も低くて便利だが、これだけで事足りるのであれば、今さらあらたに労働組合などつくる必要はない。「労働運動」と称するメーリングリストといくつかの労働争議やその支援活動程度の「実績」を積むくらいでも、一部のアングラ化した左翼情報網(ネットワーク)のなかではちょっとした「有望株」とみなされうるだろう。
  7. なるほど、社会主義の全般的危機とともに資本主義そのものへの異議申立て自体がいかがわしいもの(=「全体主義」)と感じられるようになった冷戦時代後期(70年代〜80年代)において、あたかも「乗り越え不可能」な外観を呈した資本制のもとで、「旧来の左翼」に不可視化されていた問題群を掘り起こし、その独自の権利性を事挙げする「新たな社会運動」の基盤となったのは、「自立した個人」による「ゆるやかなネットワーク」であったろう。
  8. しかし、だからといって21世紀に再生すべき労働運動が、3週遅れのランナーよろしくその「全体主義」を自戒して「労働者階級の団結」という課題を葬り去り、個別紛争を請け負う争議屋ネットワークのようなものでいいということにはならない。
  9. 反対に、むしろ労働運動本来の全人民的立脚点に立ち返って、そこから再び打って出る(現実の諸課題に関わり直す)という心意気こそが、「グローバリゼーション」という名のグローバルなブルジョア反革命時代においては求められているのである。

(註1)労働組合の経済的性格と政治的性格との関係について、マルクスは以下のように述べている。

「団結は、つねに二重の目的を有している。すなわち労働者間の競争を中止させ、そうすることによって、資本家にたいする労働者全体の競争をなしとげうるようにするという目的をもつ。たとえ最初の抵抗目的が賃金の維持にすぎなかったにしても、次に資本家が抑圧という思想で結集するにつれて、最初は孤立していた諸団体が集団を形成する。そして、つねに結合している資本に対決するとき、彼らにとっては組合の維持のほうが賃金の維持よりも必要不可欠になる。……ひとたびこの程度に達するやいなや、組合は政治的性格を帯びるようになる」(「哲学の貧困」、マルクス=エンゲルス全集4巻p.188~189)

しかしながら、個々の職場(組合の「く」の字もないような大多数の職場)では、「労働者間の競争を中止させ」ようなどとした労働者は、経営者以前に「抑圧という思想で結集した」他の労働者によってつま弾きのめに遭いかねない、などということが現にありうる。「職場からの」闘いと「職場外からの」闘いとの相乗的発展が望まれる所以である。

(註2)ここでいう「民主性」とはあくまでも、組織内における批判・検討・駄目押しの自由を保障した多数決尊重を柱とする適正手続(デュー・プロセス)であることに注意。「多数決」と聞いただけでしかめっ面を示す「左翼」も多いが、そういう人は以下に掲げる「P」のような「典型的状況における典型的人物像」を見習って、もう一度人生をやり直されたい。

「PおよびQを含む十人なり二十人なりの秘密相談会で、ある行動計画案(の可否)が、論議せられる。その際、その案を大小あらゆる側面から『重箱の隅を楊枝でほじくる』ように検討し駄目を押し、時として行動計画中止の結論へ集まりを導くのは、Pである。……一般に、計画には、冒険的・賭博的な要素が、多かれ少なかれ含まれかねない。まして、この場合の行動計画(「地下活動・反権力活動」−引用者)から冒険的・賭博的な要素を完全に排除するのは、なかなか至難のことに属する。Pの極度の検討・駄目押しが十全には解明せられぬまま、換言すれば行動計画(の細部)にたいするPの不納得のまま、秘密相談会が計画実行を結論することは、また何度かある。Pは、『僕の意見(不納得)は、依然として変わらないけれども、決定には服します。』と言う。……さて、実行段階が来て、最も忠実に、最も果敢に、最も積極的に、最も徹底的に、計画の遂行を追求するのは、Pである。Pは、そういう人間であった」(大西巨人『二十一世紀前夜祭』所収、「悲しきいのち」p.17~18)

念のためことわっておくと、筆者は4のようないわば「フォーマル」な集団が5のようないわば「インフォーマル」な集団よりも優れているといっているのではない。「反権力活動」の種々相においては4よりもむしろ5の形態をとったほうが有効である場合が多々あろう。

Part4.どうせ新しく始めるのなら、全港湾などに助太刀を頼まずに、自分たちだけでとっとと旗揚げすればよい。

  1. 企業別・本工(正規社員)中心の労働運動が行き詰まっているから、「地域」に根ざした「一人でも入れる」労働組合をつくりましょうという80年代に盛り上がった「コミュニティー・ユニオン」運動は、「全国ユニオン」結成を経て「連合」に行ってしまった。
  2. また、いくら「左翼的」でも、労働運動の全体状況に影響を与え得るような共同戦線構築への回路を持ち得ないと、気の合う仲間うちだけで他と仕切られた「ラジカルな」アイデンティティーを確認し合うだけの相対的若者集団以上の広がりが持てなくなる。大衆基盤が稀薄なまま「われわれは正しい(はずだ)」と思って「大衆運動」を続けるとロクなことにならない(「『左翼』小児病」に陥りやすい)。(註1)
  3. したがって、全国レベルで増加するフリーターの組織化という課題に対応するためにも、当初から「全国組織」の「看板」を一応は掲げられるような組織的体裁を整えておくに越したことはない(「看板倒れ」に終ったら終ったで仕方がない。何ごとも「等身大」でやればいいというものではない)。
  4. もとより「全国組織」ならどこでもいいというわけではもちろんない。全港湾は日雇労働者として全国に遍在していた港湾労働者を全国単一組合にまとめあげた実績もち、早くから「港湾から内陸へ」と産業横断的に組織対象を拡大してきた野心的な組合なので、全産業にわたる半額以下の時雇労働者ともいうべき現代のフリーターの組織化への足掛かりとしては打ってつけなのだ。
  5. 因みに全港湾は分立した「ナショナルセンター」のいずれにも加盟していない。シンプルな綱領もなかなかナイスだ。(註2)
  6. 新しく、画期的なことを自分たちだけの力でなしとげる、といえばカッコはいいが、そもそもフリーターの問題はフリーターだけの問題ではなく、正規労働者のフリーター化(非正規化)の問題でもあるということを忘れてはならない。
  7. なにしろフリーターの労働力は正規のそれの半値以下(40%〜45%)の大安売りなのだ。上からは「国際競争力の強化」を錦の御旗に有無をいわさぬリストラ攻撃、下からは若くて安くて従順で(イヤになったらすぐやめてくれて)取り替えフリーなスキャッブ(スト破り)的大部隊に煽られて、賃下げ、はては自らもフリーターとならざるを得ないところまで追い込まれているのが「正規」の皆さまであるといえる。(註3)
  8. グローバル資本主義の尖兵として動員されないためには、フリーターの組織化と地位向上の大キャンペーンが焦眉の課題であるが、かかる課題は「リストラ反対」「反グローバリズム」を掲げる労組との紐帯を基礎として展開されるべき所以がここにある。

(註1)レーニン主義における大衆運動とは「おくれた大衆を『前衛』が指導する」という発想だから怪しからんので、真の大衆運動とは「大衆の大衆による大衆のための大衆運動でなければならない」という大衆原理主義者は、以下のレーニンの記述を読んで襟を正されたい。

「革命的ではあっても、ものごとの道理をわきまえない共産党左派は、かたわらに立って、『大衆』、『大衆』! とわめきたてており、労働組合のなかでの活動を拒絶しており(太字部分は原本傍点、以下同−引用者)、労働組合の『反動性』を口実にして拒絶している!! 新しい、純粋な、ブルジョア民主主義的偏見に陥っていない、同職組合的な、また狭い職業別組合的な誤りをおかしていない、『労働者同盟』を考え出している。……革命家の『左派』が持ちこんだもの以上にばかげたもの、革命にとって有害なものは、想像もできない! ……なぜなら、共産主義者のすべての任務は、おくれている人たちを説得し、彼らのあいだで活動するすべを知ることであって、頭のなかで考えだした、児戯に類する『左派的』スローガンで、彼らと自分を仕切ることではないからである」(レーニン全集31巻p.40)

(註2)               綱領
1. 我等は広く万国の労働者と提携し、世界の進運に寄与し、以て国際平和の確立を期す。
1.我等は我国、民族産業を独占資本の搾取の桎梏より解放し、以て民主主義日本の確立を期す。
1. 我等は港湾産業の国際性に鑑み、確固たる責任感と強靭なる組織力をもって使命達成を期す。

で、これが「連合」内有力企業内労組になるとどうなるか。参考までに富士通労働組合の一例を示しておこう。

理念
知恵のネットで未来を創る

目標
一、 明るく、魅力と活力のある職場を目指す
二、 生きがい・働きがいを大切にし、一人ひとりの自己実現を目指す
三、 世界の仲間と共生し、豊かな未来を創り出す
四、 心豊かな暮らしと、安全で安心な社会を目指す

(註3)「産業再編下の『国際競争力』論の欺瞞」(牧野富雄、「労働運動」20003.7月号)では、人件費さえ抑えれば国際競争力が増すかのように喧伝される「国際競争力」論の背景には「円高とグローバル化」が存在し、前者はG5(85年9月)によるアメリカの貿易赤字対策によって引き起こされ、後者はソ連崩壊を奇貨としたアメリカの「IT」「金融」を武器とした世界戦略と、そのおこぼれにあずかろうとする日本の支配層(政府や財界)によって人為的に演出されたイデオロギー攻撃にほかならないことを暴露している。

Part5. 組合に入れば時給が上がるというわけではないのだから、組合費を払うだけ損だ。

  1. 「反戦や反資本主義を唱えるデモや集団に参加したって実際に戦争が止められるわけでも資本主義を廃止できるわけでもないのだから、それらは単に時間と労力のムダだ」と思っている「右でも左でもない」人は多いだろう。
  2. 要は戦争の横行や資本の横暴にたいして抵抗の意思表示をしたいのかしたくないのかということであり、また組織活動を抑圧政治や官僚制や「スターリニズム」の亡霊などとごっちゃにしてしか考えられないトラウマ左翼以外の真っ当な人間や大衆や民衆や庶民や人民ならば、組合費程度の「ムダ」は惜しまないだろうというだけの話である。
  3. スローガン。
    フリーターを差別するな!
    時給千円以下撲滅!
    妊娠リストラ撲滅!
    義務教育に賃金を!
    フリーターに一人前の賃金を!

以上

(注)フリーター全般労働組合準備会当時(2003年)の確認事項であり、一部で現在の方針と異なる点があります。現在の方針についてはフリーター全般労働組合の結成趣意書・綱領・規約をご参考ください。

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