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レビュー

書評・映画評

月に吠える

『ぐるぐるまわるすべり台』(中村航 文藝春秋2004年) 収録作品

文責 高橋良平

 反体制や不良といったものが、現代社会を象徴していると思われる<オガサー>に相手にされないことを確認した主人公は、受動的ではなく、能動的に仕事をこなすことを決意する。その仕事とはQC運動であった。
 主人公はそこで今まで自分が仕事で感じていた疑問を出し、それを解決し、結果主人公がリーダーを務めるQCサークルは会社から表彰を受ける。それらの過程の中で主人公は、自らの内面を象徴する<聖域>と、あくまでクールに振舞う場としてある<職場>のみの往復を止め、千葉や、職場の同僚と共同作業を通して、人生に対する「能動性」を「獲得」する。

 作者はこの一連の過程を、表面的には、引きこもりがちな主人公が社会性を獲得していく過程として描いており、この過程は、作者の他の作品、「夏休み」や「リレキショ」、そして本作品が収められている「ぐるぐるまわるすべり台」にも見られる共通したテーマである。ゆえに作者の文学世界を、大袈裟ながら再生をテーマにしたものであるとする。

 しかし、本作品が示す再生は、主人公の持つ特殊な条件によって、そもそもの始めから用意されているものであり、また、それが表面的な再生とは裏腹に、内実にある種の絶望を含んだものであることもまた、その中に暗示されている。
 例えば主人公は、始めから他の社員よりも作業能率が高く、そして精確であった。これは派遣社員一般にはあまり見られないものであろう。さらに、主人公が派遣社員であるという設定が、再生の内実の如何なるものであるかを私たちに問いかける。それは、QC運動を通して実現される作業の大幅な効率化が、結局自分の首を切るものであるという意識を主人公が持っていること、具体的には「究極の効率化と自分(派遣社員)の仕事を無くすこと」と主任に伝える場面に表されている。そこでは、再生の鍵を握る仕事への能動性が、この場合作業の効率化に万進することのゴールが、主人公の消滅によって達成されるという逆説的な関係にあることが明らかにされる。しかし、真に逆説的であるといえるのは、主人公が、自らをまさに<消えゆく媒介者>として承認したときに、能動性と社会性が確立されるという点である。
 では主人公は、そのような自らの置かれた立場に対して、異議を持たないのだろうか?「労働者は断じてイカ天丼のために走るべきではない」という痛烈かつ際立つ不満も、まだ十分に昇華されてはいない。また、QC運動がこどもだましであるという千葉の指摘に対する主人公の反応も、あまりにも経営者的である。

 最後に、これからの主人公を考えたとき、恐らくこのまま行けば主人公はいつか首切りに遭い、違う職場に再び派遣社員として行くことになるであろうことは、想像に難くない。フリーターの、スト破りのみではなく、自らの、そして社員の墓堀人としての面目躍起といったところか。そして、後に残るのは、社員の首切りと、より密度の濃い労働である。主人公の世界観、そして獲得した社会性、特に千葉を始めとする他の社員との協同性がその時、主人公にどのような影響を与えるかは、未だ未知数である。しかしそれらの要素を曲作りによって昇華してしまうところがなんとも暗澹たる思いにさせる。
 自らが置かれた矛盾を、その苦悩を覆い隠し、かつそれを利用し(本当は押し付けられているのだが)ている経営者的観点から、如何に自由になりうるか、それは現実の闘争を通して可能になるのだが、それこそが再生ではないだろうか?そのへんの問題意識が不鮮明なまま終わるところが、絶望を内に含んだ希望の確立、再生の物語が、イケテル派遣社員のクール(イヤミ)な物語として受け取られてしまいそうな本作品の限界に明らかにしている。よーするに世界観はいいと思うが、その発展性が良くない。世界観の深化が必要である。

以上

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